組織の幹部という責任のある立場での人間関係にイライラせずにするには
こんにちは!がっちゃんです!
部活、会社…世の中には組織がある。その中でも人間関係のストレスは厄介なもの。組織に所属している以上は人間関係を切っても切ることはできない。
僕も今部活で幹部に所属しているのでストレスの種は結構抱えています(^ω^)
このストレス、少し考え方を変えてみることで9割方なくすことができるんです!
人間関係で、特に何か組織に所属している時に人間関係でよく悩むのが
“俺はこういう意味で言ったのになんでしないんだよ!”
“こう言ったのに何でやらないんだよ!”
これは全て相手に期待をしてしまうから起こってるんです。
―相手に期待するとは―
日本語、日本の文化的特徴としてあるのが
“自分の考えは言わなくても伝わるだろう”
ということ。これで伝わる場合もあるけど、伝わらない場合がある。言わなくても伝わる、これが相手に期待するということ。
だからこそ伝わらなかった時にものすごくイライラするし、ストレスもすごくたまる。後処理とかもしないといけないし、イライラするしいいことはあまりない。
―どう考え方を変えればいい?―
こうするだけだ。
相手に期待をしない
期待をするからこそ言葉を省いてしまったり、信頼がなくなったり、感情の起伏が激しくなって自分をより傷つけてしまう。
だからこそ相手には何もせず、訴えたこと以上のことをやってもらったらすごく喜べる。
スポーツの場面における心から寄り添える人がいることで強くなれることは“依存”なのか?
こんにちは!久々に書きます、がっちゃんです!
心から寄り添うことができる…
こんな関係を持つこと自体難しいよね。そんな人に出会えていろんなことで結果を出せるようになったのを
“依存してるのは自分の力じゃないんだから意味ないでしょ”
こうとらえられことがあるけど本当にそうなんだろうか?僕の答えは
依存ではない
だ。
—そもそも依存するとは—
依存っていうのは言い換えると自立できていないことをいうと僕は思うんだ。だから、例えば
試合に必要なものを忘れて取りに帰らせられる、起きれないから恋人に起こしてもらう…
これが依存。他人に迷惑をかけてそれをフォローしてもらうこと。これはもうアスリートとしては失格だよね。自分のことができないのに人のこと、チームのことはできない。
—寄り添うとは—
自分のことができた上で大切な人が力を発揮できるように支えることだと僕は思う。例えば
遠くて応援に行くことはできないけど前日に相手のことを気遣ってメッセージを送る、試合に一番いい状態で臨めるように連絡の頻度や会う日にちを調整する…
ここら辺が当てはまると思う。自分のことができた上で相手のことも気遣う。やりすぎるんじゃなくて普段通りに過ごしたり、少し気遣いを多くすることが寄り添うことなんじゃないかな。
—まとめ—
お互いが自分のことがきっちりできた上で支え合う。干渉しすぎず、程よくいい関係を保つ。これができていれば依存じゃないし、自分の大切な人が笑顔でいる時間が増えるし、お互いがより深い関係になると思う!
卒論アドバイスは聞くべきなのか
こんにちは!
久々に書きます、がっちゃんです!今日は卒論について書くよ!
卒論。そう、それは大学に通っている大半の人は書くもの。就活、院試に加えて終わらせないといけない。めんどくさ😕
過ごした方とかでこうしたらいいとか言われてもそんなことわかってるわ!とか多い。
そこで今日はそんなあなたに卒論に取り組む際に言われるアドバイスの受け取り方について紹介するよ!
・アドバイスされる環境は残しつつ基本は聞かない
これは結構良い。アドバイスをしてくれるのは自分たちの成長を願ってるからこそ言ってくれる。
でも、アドバイスを全部聞いていて役立たせることができればそれはそれで最高。でもそんなんできるわけない。
そのアドバイスを聞かないのは申し訳ないっていう思いもあると思う。
だからこそどうすべきか。
自分の軸を持ってスルーする
これ。これなんだよ。自分の軸を持てていないとアドバイスをされるごとにこっちの方がいい、あっちの方がいいとかで振り回されてしまう。でもアドバイスをする人の話は聞いておきたい。だから自分はこうするという明確な意思を持ち、特定の分野だけを考えるようにする。
そして、スルーする。環境は保っておく。
これはいろんなことにも応用が効く。卒論以外にも努力の仕方、映画の楽しみ方、生活の仕方とかいろんな形で役立たせる。
基本は同じなんだ。
物事に取り組む上でやり方は同じ。
挑戦する
挑戦の経験を経て改善する
わからなかったらアドバイスをもらってみる
これを行うっていうのは簡単なんだけどやるのは感情に左右されるから難しい。だからこそ、上記のことを生かしてみてほしい!
んじゃね!
筋肉の鍛えすぎってどのレベル?
こんにちは!久々に書きます、がっちゃんです!
日本でスポーツをしてる人は言われてきてることがあると思うこの言葉
筋肉を鍛えすぎると動かなくなる
そんなに鍛えたら関節の可動域が狭まるよ
なんの根拠もない言葉。まあ結論としては、
日本人が思う筋肉のつけ過ぎはつけてるとも言えない、これが本当のところかな。筋トレを続けている頻度や日数を聞けばそれはもう明らか。
大体の人はトレーニング後にプロテインとか栄養を摂取することはほとんどない、週に1回とか2回しかしてない、パンプアップした筋肉ででかくなったと勘違いしてるってのが多い。というよりこれにほとんどの人が当てはまる。
ストレッチをするとかトレーニングの仕組みすら知らないのにトレーニングの本当の意味を知ることなんてできない。
いい例としてあげれるのは日本人アスリートと海外アスリート。最近W杯があったけど、日本はフィジカル負けしてた。トッププレーヤーと呼ばれる選手や海外のほとんどの選手は日本ではつけ過ぎと呼ばれるレベルで筋肉がある。でも日本よりもうまいし、走れる。非の打ち所がない。
具体例としてあげるのならクリスチアーノロナウド。あの筋肉量で世界最高の選手と呼ばれている。ならもうするしかない。
筋トレ仲間で言われてる鍛えすぎのレベルというのは
ベンチプレスなら100kgを超えるあたり
これぐらいのレベル。このレベルは1年で達成することはできるけど、結構頑張らないと達成できない。これを考えれば、どんなに筋トレしても大丈夫。
さあ今から筋トレだ!
"成長"するときって?
目標を達成する、スキルアップをする。そのためには成長することが必要だ。
ただ、成長は右肩上がりにいくものなんだろうか?受験とかで言われてるみたいに基礎を固める期間があってそのあとに成長があるのだろうか。
全てちがう。でも、全て正しい。
成長の過程は人それぞれ違う。持っているものも違う。ならどうすべきなのか。いつが成長するタイミングなのか。
答えは一つ。
やりまくる
これ以外にない。そこから自分のことを分析する。そして、分析したら自分が少しでも成長できるように改善していく。世間で成功している人はやっている数がおかしい。狂ってるのかと問いたいぐらいやりまくってる。
頭を使え、もっと体力つけろ、技術をあげろ、勉強しろ…
方法はたくさんあるけどやってみない限りどうすれば成長できるかなんてわからない。
だからやりまくるんだ。
やってやってやりまくる、さあやろう
コミュ障に注目しすぎ!
こんにちは!がっちゃんです!
今日は自分の欠点は才能だ!ってことを話そうと思う。
コミュ障
これを欠点と思う人は多い。タイトルにもある通り、コミュ障で悩む人は多いと思う。自分はこれができないって思う上でコミュ障以外にも
スポーツができない、太ってる、音痴だ、三日坊主だ、勉強ができない…
いっぱいあると思う。ここに書ききれないけど他にもたくさんあると思う。だけど、ここで考えてほしいことがあるんだ。欠点しか自分にはないのかってことを。
・欠点は誰しも持っている
コミュ障の人は
俺は人と話せないからダメだ
気になるあの人と話せない、もう無理
とかいろんな感じ方をするよね。でも、太っていることが欠点と思っていて、コミュ障じゃない人からすれば
そんなグズグズするのなら声をかければいいのに
こんな感じで思う。コミュ障の人からしたら太ってるほうがすぐに直せるやろって感じる。
みんなこんな感じなんだよね。これはあくまでも例だけど、みんなににかしら欠点と感じることは何かしら一つはあるんだ。
・長所もみんな持っている
みんな長所はどう思ってるのかな?
人よりもできる
って答える人が多いと思う。ふと考えてみてほしい。これは案外早く見つかるんだ!
何でかって?
みんな人と比べるとかに、自分はどこが人と劣ってるのかっていうことに着目してしまう人が多いんだよね。人よりも全て劣ってるなんて周りの人全てがそうっていうことはほとんどないと思う。それに、これならまあ周りの人よりもできるかもみたいなのはあるはず!
着眼点を変えることで長所っていうのはわかるんだ!
だからこそ、タイトルにはコミュ障って書いたけど、欠点は誰もが持っているんだ!
欠点を見つけるぐらいの観察眼があれば視点を変えるだけで長所はいっぱい見つかる!だから悩む必要はないよ!
このブログを少しでも励みにしてほしいです!
プロ野球中継は見ないといけない?
こんにちは!久々に書きますがっちゃんです!
スポーツやってる人は言われたことあると思う。
プロのプレーを見なさい
人の試合を見なさい
こんな感じで"見る"ことを強要するセリフ。
みないと上手くならない
これをしないと上手くいかない、君のやり方ではダメだ
プレーをすることが好きな人にとったらこんなん別にどうでもいい。楽しめたらいい。だけど、大人や周りの人からは自分の成功体験を押し付けられたり、価値観を無理矢理植え付けられそうになる。今日はこんな身勝手な強要に対して一喝するために書きました。
目次
1."しないといけない"という義務
2.スポーツをすることって?
3.楽しむには?
1:"しないといけない"という義務
義務。これは日本にいたらどの競技にもいえるかもしれない。
勝ちたくて大人やあまり考えない人が順序を誤ったり、スポーツの楽しさを無視してしまってる。こんなんで続くわけがない。
楽しかったら自分で考える。そこまで待つ。見届ける。この姿勢が必要なのにできていない。結果しか考えない人たちがあまりにも多い。
2:スポーツをすることって?
本来、どの人もスポーツは楽しいからやる。そこからいろんなことに派生していく。
勝負をする場面では勝てば面白いし楽しいから勝とうとする。自分が勝利に貢献できればもっと楽しくなるから上手くなろうとする。分析をする…
一流になってもスポーツを楽しむ、それは変わらない。むしろ、一流になる程本質をとても大切にしているように見える。
これがそのいい例だと思う。
https://m.youtube.com/watch?v=0EzOZtRFzec
3:楽しむには?
なら今後どうするか。個人的には
自分の心に素直になる
これが大切だと思う。普段から自分の心の声を聞く。普段からしておかないと聞くことすらできなくなってしまう。周りの環境でそれができないなら変えることをオススメする。
特に、否定してくる人を避ける。高校とかだったら顧問の先生とかがおおいかな。伝統を重んじるとか言ってなんも考えない人。これは要注意。
ガラッと環境を変えるのが難しいのならまずは少しずつ変える。そうすればいい方向に少しでも傾いていく。そうやってスポーツを楽しんでいく人が増えたらなって思う。